カッター訓練 クルー長を終えて 所見


令和5年度34クルー長 343小隊 生雲 奏丞

カッターと聞いて、何を思い浮かべるだろうか。多くの人はものを切るときに使う道具を思い浮かべるだろう。しかし、防衛大学校学生や海上保安大学校、その他少数の人は全く違うものを思い浮かべる。それは、旧日本海軍の艦艇にも搭載された手漕ぎの救助艇。即ち、短艇(カッターボート)である。小型エンジンの登場などにより手漕ぎの救助艇としての役割を終えた現在では、如何に艇を早く進めるかという競技の形で残っている。手漕ぎといっても、釣りやカヌーなどで使われるような小さな船ではない。全長は約9m、排水量は1.5tという大きなものであり定員は驚きの45人。タイタニック号に乗っていた救助艇をイメージしていただけるとわかりやすいのではないだろうか。横浜のみなとみらいにある帆船「日本丸」にも同様のものが搭載されている。

まずは少しカッターの漕ぎ方を紹介したいと思う。漕ぎ手は右左に6人ずつ乗っており、それぞれがオールを持っている。ちなみに、オールの全長は約4m、重量は11kgである。この時、漕ぎ手は進行方向とは反対を向いて座っている。オールの持ち手を前方に突き出しながら先端を着水させたと同時に、持ち手にぶら下がるようにして後ろに倒れることにより、推力を得ている。少し文面の説明ではわかりにくいかもしれないが、やればわかる。この動作を12人が同時に行う事が効率よく推力を発生させるコツである。

防大におけるカッター訓練とは、春休みを終え、新学年として着校してから約1か月後に行われる中隊対抗(現時点では16個中隊)の競技会であるカッター競技会での勝利を目指して行うものである。予選は4艇ずつ4グループおこなわれ、そこで1着をとったチームが決勝へと駒を進める運びだ。競技に直接参加できるのは新2学年のみであり、彼らを「クルー(crew)」と呼ぶ。クルーは年度によって多少の違いはあれ30人程度である。この中から、漕ぎ手12人、艇のリズムを作る艇指揮1人、艇の舵を握る艇長1人の14名(正確には予備を含む16名)が選抜される。そして彼らをサポートする3・4学年のことを俗に「カッタースタッフ」という。カッタースタッフには、全体の統括をするクルー長。クルー長の補佐をするサブ長。具体的な漕ぎ方を教える海トレ長。陸上でのトレーニングを担当する陸トレ長等、様々な役職が存在する。私がクルー長として学んだことをここに記す。今後クルーとして、スタッフとして、カッター訓練に参加するであろう後輩諸君の一助になれば幸いである。

唐突だが、カッターという競技は恐ろしい特性を秘めている。当然止まっている状態から漕ぎ始めるときが一番水を重く感じる。艇速がつき始めるにつれて少しずつ軽くなってくる。これはオールが流されているからである。進んでいる船の上から物を落とせば、それはどんどん船から遠ざかっていくと思うが、それと同じ現象がオールでも起きているのである。これは当たり前のことであるが、ここに落とし穴がある。オールを着水させた瞬間に全力で水を引いた後オールを持つ手に力を入れずにただ後ろに倒れた場合どうなるかを想像して欲しい。そう、オールが勝手に流れるのである。そして質の悪いことに漕ぎ手からは周りのクルーが全力でやっているのか、はたまた手を抜いているのか分からない。しかし、漕いでいると水は重くなっていくので身体はどんどん辛くキツくなる。少し力を抜いてもバレないだろうという気持ちを持っているクルーが多ければ、どれだけ体格に恵まれたクルーがそろっても負ける。それがカッターという競技だと私は理解している。

では、手を抜くようなクルーを生み出さないために必要なことは何だろうか。私は2つの答えを持っている。それは、「信頼」と「まとまり」である。「信頼」はわかりやすいかもしれない。信頼があれば、誰かが手を抜いてオールをただ流している。ではなく、俺がもっと全力で漕いでみんなを楽にさせてやるんだ。というようなマインドで漕ぐことができる。どちらのクルーが強いかは言うまでもないだろう。では「まとまり」とは何なのか、これが非常に難しい。よく「まとまり」と「馴れ合い」を勘違いする人がいるが、この2つには明確な違いがある。うまく言葉にできるようなものではないかもしれないが。例えば、同じ失敗を何度も繰り返す同期がいたとしよう。その同期に大丈夫とか、次頑張ろうと声をかける事。これは「馴れ合い」だと私は思う。その言葉は同期を甘やかしているだけに過ぎない。また同じ失敗をさせることになるだろう。そこで、いい加減にしろとか、変わらないとダメだろといえるような関係性。これが「まとまり」ではないだろうか。少し酷だと思う人もいるだろう。しかし、その後のことを考えたとき、どちらが同期のためになっているだろうか。

この「信頼」と「まとまり」の醸成は勝利に必要不可欠なものだが、忘れてはいけないのが2学年は校友会が同じか元同中(同じ中隊)でない限り、お互いの顔も名前も知らないところから始まるということ。そして、カッター競技会まではたったの1か月しかないということである。この1か月間で「信頼」関係を構築させ、「まとまり」を作り、難しい漕ぎの技術を叩き込む。これはひとえにカッタースタッフの手腕にかかっている。

私のクルーは「信頼」と「まとまり」の醸成を成功させることができた。(と、思っている。)ではどのようにして醸成させたか。それは簡単に言うと「全員に限界と向き合わせる」ことだ。人は辛い時、苦しい時、本性が出る。お互いがその本性を見せ合う事。それこそが「馴れ合い」のような希薄な関係ではなく、お互いを「信頼」しあい、「まとまり」のある集団を作ることになるのだ。これはなにもカッター競技のみに当てはまる事ではない。学生舎での生活でも、それぞれの幹部候補生学校でも同じことが言えるだろう。そういうことをカッターは学ぶ絶好の機会であると感じる。

私がカッターから学んだ最も大切なことは、大きな困難に立ち向かうには信頼できる仲間が必要であるということだ。世の中のほとんどの人間は、一人で何かをやろうとするとき少なからず妥協してしまう。勉強や運動、仕事だってそうだろう。そんな時、必要なのは仲間だ。隣で頑張っている仲間がいる。遠い場所で自分よりもつらいことに耐えている仲間がいる。そう思えば大きな困難であってもつらくない。カッターを漕いでいれば手や尻の皮も剥ける。漕ぎ終わるころには、もうオールを持っていられないほど握力に限界が来る。そこまで自分を追い込むことができるのは、周りに自分のために漕いでくれているクルーがいるからである。また、先述した通り、カッター競技会では漕ぎ手、艇長、艇指揮及び予備の計16名しか艇に乗ることができない。もちろん予選を突破すれば多少乗れる人数は増えるが、競技会で1度も艇に乗らないクルーが出てくる。艇に乗れなかったクルーのためにも勝たなくてはならない。そうして、そのことを全員が思っていること。そんなクルーは強い。

私のクルーの結果は、予選突破。決勝3着。銅クルーであった。私のクルーが目標にしていたのは金クルー。メダルや賞状をもらえるといっても、誰一人として喜んでいるものはいなかった。そのくらい、勝ちに貪欲に、逃げずにやってきた証拠だと思う。カッター期間を振り返って思うことは、クルーは全力でスタッフの言うことを信じてついてきてくれていた。勝てなかった原因はスタッフにある。私のクルーは、本番直前の段階で16個クルーの中で最速記録を持っていた。この記録に対するスタッフの慢心こそが、負けの原因だった。最速タイムといっても、練習で距離やタイムを計るのはスマートフォンであったため、やはり多少の誤差はあるだろうし、波や風がいい方向に作用して偶然記録されたタイムかもしれなかった。まだ詰められるところがあったかもしれないというこの思いは私から一生消えることはないだろう。最後の最後での油断がこのような結果を招いてしまった。クルーには非常に申し訳なく思っている。

それでも、私を支えてくれたスタッフや、信じてついてきてくれたクルーとの関係性は、カッターが終わったからといって途切れるような軽薄なものではない。ここまで熱くなれる。本気になれることは人生でどのくらいあるのだろうか。確かにカッター期間はキツイけれど、たったの1か月。良くも悪くも始まれば終わる。惰性で1か月過ごすのか、全力で出し切った1か月にするのかで得られるものは大きく変わるだろう。後輩諸君がカッター訓練に全力で、クルーとして、スタッフとして、勝利のために臨むことを期待して結言とする。